木曜日, 5月 19, 2005

シャングル・ラ


The Kitchenでのコラボレーションも無事終わった。 シャングル・ラというモダーンオペラのコラボレーションである。終わったといっても、オペラの前半をステージ化させる”Works in Progress”(途中段階でプレゼンテーションする)という、ユニークな企画でもあった。The Kitchenとはニューヨークのチェルシーにある前衛音楽/劇の舞台であり、フィリップ・グラスやローリ・アンダーソンなどデビューした場である。ブラック?ボックス?シアターと呼び、わざと親密感のあるスペースを新しい表現のきっかけとなるように芸術家に与える。

このコラボも思いがけない切掛けで参加する事になった。 The Kitchenのファンドレイジングパーティ-に出席したジュディーと私は、その中で、何人かの芸術家に出会った。そのパーティーでもパーカッションをベースにする前衛作家、スージー・イバラ氏が演奏する事になっていた。そのアナウンスがされ、私はそのギャラリーの奥に彼女が演奏の用意する場をみていた。パーカッションといってもジャズのバックグラウンドを持っているという紹介だったので、ドラムでソロをするのだろうと思っていたが、そうではなかった。彼女は紹介が終わると、ひととき静まり、その周りに小さな太鼓のようなものをいくつか並べ、それを素手でたたき始めた.叩くというよりか、撫でている用であった.そしてドラムスチックを持ちながらも、そのケイデンスはなにか森の奥で響くキツツキのように聞こえた。

その後、私のニューヨークでの個展に、彼女が突然訪ねてくれた.そのとき彼女からいただいたcdを聞くと、何か不思議な音楽に思えた.彼女の音が私にとって「見える」のである.音楽を聴くというよりも視覚的な体験である.それを彼女にいったら、彼女は「私はニューヨークに16歳のときにきたときは画家になろうと思っていたのよ、」と恥ずかしそうに語ってくれた.しかし、ピアノを小さい頃から学んでいた彼女はマンズ音楽学校に行き、その後ドラマーとしてジャズの世界に導かれたという。

その彼女がこのシャングル?ラを作曲するのも、ある詩人を知りあった事にあった.ユーセフ・クミナーヤという、アメリカの文学で最高の名誉であるプリッザー賞も取っている詩人である.彼女の音楽と彼自身の詩を読む低い声が響き合う。ミシシッピー州で育った彼の声には、アメリカの南の文化に流れるブルーズの流れが感じられるが、内容はアメリカの社会的問題をよくテーマにする。ベトナム戦争を生に体験している事もあり、深刻な悲しみと思いが感じられる詩である。

ユーセフはベトナムに行く途中にタイのバンコックに一夜滞在したとき、そのあるバーで売春女たちが、スプリームズの歌を歌っている異様な姿を見たという.バンコックという背景には売春はもちろん、ティーンエージの女の子を売買するセックス・トレード、そして、その裏には隠されているエーズの感染問題に満ちる場である。つまり、表はシャングル・ラ(天国)であるが裏は地獄であり、ユーセフはこれをこの作品で捕らえたかったという。その主人公はMetaphysical Detective (形而上探偵刑事)であり、そのバーにある行方不明者を探しにいく。

スージーにとってもオペラを手がけるのは初めての挑戦だという.しかし、その何百枚にわたる楽譜は、既に「聞こえてくる音を書き落としたでけ」という.ユーセフの詩はリズム感 があり、そのイメージとケイデンスが直接音楽になっていくという.しかしいくらその自然的にでる感覚が流れていても、12人の音楽家、6人のオペラ歌手を通して実現するオペラはそんな容易にできない.彼女は2ヶ月ほとんど眠れず、しかし「どういう訳だか、深夜の2時になると、ある音が聞こえてくるのよ」と言い、作曲を続けたという。

私の役割はその音楽とストーリーを視覚的にプレゼンテーションする事だったが、それも不思議に抵抗なしに音楽から流れるビジョンに従っていく作業であった.ダンサー/コリオグラプァーのマライヤ・マローニーさん(トリッシャ?ブラウンで活躍しているダンサー)氏とコラボレーションで造っていった。それは歌手の動き、特徴と部分の流れを総一できるように進めていった。映像をプロジェクションする事になったのだが、ブラック・ボックスだという事で、そのまま黒い壁に映像を流した.そして、もう一カ所天井からプロジェクターを吊るし、白い衣を着た歌手の上から、”Nagasaki Koi”の最後の部分、鯉が長崎の原爆地域で泳いでいるビデェオを流した.

私はこの間、佐藤美術館でレクチャーをしたとき「21世紀の芸術はコラボレーションに尽きる」とも語ったが、この体験を通して、その思いが最も強くなっている.この秋も横浜のバンクアートでサウンド・アーティストのMamoruと役者の和泉ちぬさんと、コラボレーションを予定している。

著者であり、ビレッジ・ヴォイスの評論家であるナット・ヘントフ氏はコラボレーションとはジャズのランゲージでもあり、その裏には、民主主義のエッセンスが流れていると語る。それは、平等という立場からあるビジョンに向かっていく体制で、一人一人の存在が尊重され、個人の違いも全体の中で、響くあうものであり、個人芸ではない、チームワークとなっていく世界である.そのチームの選択は難しい、そして、お互いを尊重する心がないとできない.しかしこれは、あるレベルのものが、エリート意識を持って行う作業でもない.私は、ホワイトハウス文化顧問として、毎年行われる、N.E.A.ジャズ・マスターズという賞の受賞者を選ぶ体験をさせていただいているが、その授賞式にあの有名なデーブ?ブルーベック氏が二人のティーン・エージャーとコラボ/インプロブをする姿を体験した.90歳にもなる大芸術家が,舞台の上で二人のティーン?エージャーに眼のしぐさでコミュニケートし,そのパフォーマンスを通してその二人を励まし,チャレンジを与える姿は美しく感じた。

民主主義もシャングル・ラの様に,表は天国のように見え,実際は地獄のような姿もある.しかし,アメリカの20世紀の暗闇の中に生まれたジャズのランゲージはこれからの私の視覚芸術の土台ではないかとも感じる。そこには真の人間性が流れ,新しい音がもう既に流れている。